3・11を郷土愛で乗り越えて 野口太さんが宮城県産品を全国に発信

死者・行方不明者が2万2000人以上(関連死を含む)に上った東日本大震災の発生から、11日で14年を迎えた。津波で甚大な被害に見舞われた東北地方太平洋沿岸部で被災し、震災後に宮城県産海産物の販路拡大を目指す法人を立ち上げた野口太さん(55)=宮城県東松島市=は毎年3月、各地の物産展で地場産品のおいしさ、被災地の今を伝えている。4年前からは山形村の大型商業施設・アイシティ21で行われる東北物産展(今年は11日まで)に出店している。震災の教訓やふるさとへの思いを聞いた。
地震が発生した平成23(2011)年3月11日午後2時46分、サラリーマンだった野口さんは同県石巻市で翌日の仕事の出張準備中だった。街が津波にのまれる様子が目に焼き付いている。高台の中学校に避難した。避難先で3人の子供、妻、義父母の無事は確認できたが、東松島市の自宅は全壊した。生まれ育った同県女川町も津波で壊滅的な被害を受け、実家も失った。津波にのまれ行方不明のままの親族もいる。
長い避難生活を経て、自宅のあった場所に家を再建し暮らしている。「津波の怖さを味わったけれど、家族のルーツのふるさとを離れる気持ちにはならなかった。自然と共存していくしかない」
震災5年後に仲間と法人を立ち上げて県産品のおいしさをPRし「震災後、地場産品の魅力を再発見できた。全国に発信し続けることが使命」と語る。
「災害はいつ起こるか分からない」と分かってはいても、自分事として考えることがいかに難しいことか―。野口さんの震災の教訓だ。「いざというときに逃げる場所や命を守る行動を家族や仲間と普段から話し合い、考えておいてほしい」と日頃からの備えの大切さを語る。