連載・特集

2025.2.9 みすず野

 絵を描く情熱を、ずっと胸にしまっていたのだろう。というのも晩年に信州の風景を描き続けた洋画家・桂重英(1909~85)の画業には大きな特徴がある。25歳ころまでと57歳以降に大きく分かれる。57歳になる前年に、松本市里山辺に移住した◆『桂重英画集』(桂春美さん編集・発行)に、年譜が載る。生まれは新潟県新発田市で、日本美術学校で学んだ。在学中から二科展や白日会展に出品、昭和5(1930)年に白日賞、8年に河北美術展の河北賞を受けた。才能を認められたが10年に生計のためデザインの世界に転向、事務所を東京・銀座に、後に新潟市に設けた◆重英が絵筆を再び持ったのは移住した41年で、30余年のブランクができていた。このときを待ちわびていたのは、その後の精力的な制作活動から想像に難くない。43年には河越虎之進や加藤水城らと信濃山岳画協会を結成した◆重英の名前を冠し、遺族が運営する美術館が里山辺にある。没後40年の節目を記念して忌日のきょう、入館を無料にするという。展示する作品は、画業がたどれる内容になるとのこと。ブランクの前と後を比べてみるのも一興だろう。