2024.11.9 みすず野
崩壊という言葉に、あまりいいイメージはない。が、平成元(1989)年11月9日の「ベルリンの壁の崩壊」は別だ。壁は第2次世界大戦後、米国や英国、フランスの西側占領地域とソ連占領地域とに分断されたドイツの状況の象徴だった◆非合法に壁を越えて、豊かな西側に向かい、国境警備隊に撃たれて亡くなる人も少なくなかったとされる。状況が動いたのはソ連の政治の変化から。東西の自由な移動が認められた。崩壊をきっかけに翌年、西ドイツが東ドイツを編入する形で再統一された◆当時、県外で大学生活を送っていた筆者に、松本市に住む高校時代の友人から電話があった。音楽など外国への関心が高かった友人は、松本の店舗でベルリンの壁の破片を販売していた、と興奮気味に伝えてきた。破片の真贋をいぶかり、今でもよく覚えている◆先日、松本の社会奉仕団体の会合に伺った折、代表があいさつのなかで、緊迫する国際情勢について触れた。団体とは直接関係のない話だったが、大勢が今、国際情勢を危うく見ている表れなのだろう。ベルリンの壁のようなものが再び造られないように今こそみんなで努めたい。