連載・特集

2023.10.17 みすず野

 〈木曽八景〉が作られたのは―ネットの記事は典拠を示していないが―江戸中期の寛保3(1743)年ころという。作者として松平君山と共に名が挙がる横井也有は―記事では単に俳諧師だが―年号の通りならば時に40代で尾張藩の重臣だった◆江戸勤番や藩主の随行で幾度も木曽路を往来したはずだし、漢籍や古典、故事にめっぽう詳しい。博覧強記ぶりが後世の研究者の目に留まったのだろう。〈徳音寺の晩鐘〉とか〈風越の晴嵐〉とか―也有の作と思って没後刊の俳文集『鶉衣』を読んでみると、興が湧く◆近江八景になぞらえた。身近な現代版〈八景〉の指を折るのも楽しい。松本なら国宝天守や上高地...。塩尻から望む穂高の岩塊は外せないか。安曇野八景には豊科光・田沢の「光橋と北アルプスの眺め」を入れてほしいと、誰からも頼まれていないのに勝手に選んだ◆也有は53歳で隠居を許され、風雅の友と交わりながら余生を送る。82歳で没。辞世は〈短夜やわれにはながきゆめ覚めぬ〉―岩波文庫の注釈は〈短い人生なのに、長い夢を見ることができて幸いであった〉の思いだと。その境地は、とても到達できそうもない。