連載・特集

2025.5.10 みすず野

 この地を松本と名付けたのが、戦国武将の小笠原貞慶であるのは多くの人が知るところ。信濃守護だった父・長時が、武田氏に攻められ、この地を去ったのが天文19(1550)年。以来、小笠原氏が領地を取り返す好機をうかがっていたのは、のちの行動が物語る◆天正10(1582)年に起きた本能寺の変が契機だった。混乱に乗じて貞慶が木曽氏のものとなっていた父の旧地を回復し、深志と呼ばれていた地名を松本に改めた。名前を変えた理由は、はっきりしていない◆昭和8(1933)年に発刊された『松本市史』に複数の説が紹介されている。まずは、もとから松本という地名があり、それをとった。もう一つは、小笠原氏の一族が現飯田市の松尾にいて、それに対して深志の方が本家であることを示して松本とした。三つめは、長い間、小笠原氏が本の領地の回復を願って待っていたことが、やっと達成でき、まつ本(松本)とした│。ピンと来たものはあっただろうか◆貞慶に聞きたいが、それはかなわない。運命に従い、秀吉や家康の家臣となり戦乱の世を生き抜いた貞慶。文禄4(1595)年5月10日に亡くなった。