2023.9.12 みすず野
江戸時代の後期に活躍した全盲の学者・塙保己一を「はなわほ/きいち」と読んでいた。「ほきいち」と知ったのは社会人になってからだ。人が聞いたら吹き出すような思い違いは、誰にも一つ二つあるだろう。明石家さんまさんはテレビで〈♪上り下りの舟人が~〉を「のらりくらりの」と歌った(本当かどうか分からないが、そう言って笑わせた)◆塙保己一と名乗ったのは而立30歳の時で、出典は中国の詩文集『文選』にある〈己を保ち、百年を安んず〉。文献を収集し、誤りを正して後世に伝えるぞ。百歳まで生きて志を成し遂げようとの決意の表れだった。伝記に教わった◆風でろうそくの火が消えて大騒ぎの弟子たちに〈目明きというのは不自由なものだ〉と言った逸話は戦前まで、教科書に載っていたという。保己一は『群書類従』を完成させた2年後の文政4(1821)年9月12日、76年の生涯を閉じる◆当方の思い違いは無学によるものだが、立場によっては無知の一言で済まされないほど人を傷つけたり、怒りを買ったりする場合がある。政治家の「言い間違い」にあきれた。こちらは「のらりくらり」とはいかない。