連載・特集

2025.3.2 みすず野

 木曽(源)義仲や佐久間象山と並んで県歌「信濃の国」の歌詞に登場する。戦国武将の仁科五郎信盛(盛信)は、武田信玄の五男で大町地方の豪族・仁科氏の姓を引き継いだ。現在は桜の名所として有名な高遠城址(伊那市)の、城主にもなっていた信盛は天正10(1582)年3月2日、織田信長の長男の信忠軍に滅ぼされた◆信玄から家督を継いだのは、ご存じのとおり勝頼。機を見た信長は、手を緩めることなく攻め続けた。3月11日に勝頼が自刃し、一時は「戦国最強」ともうたわれた武田氏が滅亡した◆戦功のあった武将に、信長による旧武田領の知行(国)割りが行われた。信濃国の筑摩、安曇、木曽の3郡は、信長の誘いに応じて勝頼に背いた木曽義昌の所領となった。戦が始まる前に義昌は、勝頼の妹をめとっていた。戦国の世を生き延びた人たちに迫られた、判断の厳しさをあらためて思う◆これらが起きた年に実はもう一つ大きな出来事がある。本能寺の変? それもそうだが、その間隙を縫った、前信濃守護の小笠原氏の動きである。貞慶が「深志」に入り、父・長時の旧地を回復し、この地の名を「松本」に改めた。