連載・特集

2025.3.1 みすず野

 日本のマグロ漁船が遭遇した。米国が昭和29(1954)年3月1日、中部太平洋のビキニ環礁近海で水爆実験を行った。乗組員は甲板上に降る放射能まみれのサンゴ礁の微粉末「死の灰」にさらされた◆その水爆の威力は広島の原爆の約1000倍とされる。そんな兵器が必要だったのか。「ビキニ水爆は、冷戦下の米ソ核軍備競争が行き着いた破壊力開発の極地だった」(『これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏 第五福竜丸・乗組員が語る』大石又七著、かもがわ出版)。被災の半年後、乗組員1人が世界初の水爆犠牲者で亡くなった◆東日本大震災の際、東京電力福島第1原子力発電所長だった吉田昌郎さん。原発事故の収束作業を現場で指揮した。事故から2年後、食道がんで亡くなった。一部報道によると、当時東電は発症例を根拠に被ばくが死因に影響した可能性は低い│との認識を示した。一般的な発症例が通じる事例だろうか◆悲惨な出来事があっても核兵器や原発は世界からなくならない。その中で「脱原発信州ネットワーク・松本」のように草の根運動を展開する人たちもいる。大勢がもっと関心を寄せたい。