2025.2.27 みすず野
旧制松本中学(松本深志高校)出身で、同窓の古田晁、臼井吉見とともに筑摩書房の創立に携わった評論家の唐木順三は、女性編集者から原稿依頼の電話がかかってきたが、具体的な内容が聞き取れない。「用件を手紙で書き送って貰ふことにした」と「耳が遠くなる」と題した随筆を書き出す(『日本の名随筆・老』作品社)◆相手の話が聞き取りにくいとき「私は知らず知らず右の手を耳のうしろに当てて、耳殻を大きくするやうな仕草をすることがある」とつぶやく。それを自分では「みつともないなと思ふこともある」という◆それだけでなく「耳が遠くなるのと同じ歩調で、物忘れも多くなり、日常茶飯の文字も咄嗟には書けなくなったりする」と続く。来年は数え年で75歳という師走の午後に書かれた◆補聴器を付けている幼なじみがいる。付ければ聞こえるというものでもないそうで、付けたり外したりしている。日々物忘れはどんどん進み、人の名前が出て来ないことにはもう慣れた。幸い、耳は何も不便を感じていない。「時々聞こえにくくて」などと言いながら、都合の悪いときは聞こえないふりをするということもある。