連載・特集

2025.2.18 みすず野

 「雑巾がけが足りない」とは、やるべき地味な仕事、基本的な作業を怠っていると、目上の人が部下や後輩に言う言葉だった。このごろはほとんど耳にしない。なにより日常生活で雑巾がけという行為がなくなっているようだ◆雑巾が日常の暮らしの脇役として存在感を保っていたのは、昭和30年代(1955~64)までだろうかとエッセイストの山口昌伴さんはいう(『水の道具誌』岩波新書)。「その頃までの子どもは、寒い冬の朝、長い板廊下や縁側を四つん這いの尻をあげて拭き進む雑巾がけが日課だった」と◆縁側の雑巾がけはよく覚えている。冬の朝、かじかんだ手で拭き掃除をした記憶はないから、そんなに厳しく割り当てられてはいなかったと思う。同じ作業をすると思い出すこともあるだろうが、残念なことに、もう縁側のある家に住んでいない◆「長寿を全うしたおばあさんの居た場所を整理すると、刺し子雑巾が一束出てきたりする」といい「布を捨てるのは気がひけてつい雑巾に仕立ててしまったのだろう」と記す。母も雑巾をしまっていた。便利なのは化学雑巾の類い。使っていない雑巾はまだ何枚も残っている。