地域の話題

戦争の記憶 今、残さねば ノンフィクション作家・きむらけんさん

戦争の痕跡を各地に訪ね歩くきむらさん(7月26日、都内で)

 戦争伝承の危機だ―。ノンフィクション作家のきむらけんさん(78)=東京都=は年々その思いを強くしている。松本市の浅間温泉に太平洋戦争末期に滞在した疎開学童の記憶や記録をひも解くことで、歴史の闇に葬られようとしていた松本出撃特攻隊の軌跡を追い続けてきた。しかし戦後79年。史料の散逸は進み、歴史の証人たちも途絶えようとしている。「永遠に失う前に今、掘り起こさなければならない」。固い決意の奥にあるのは記録への執念と反戦の願いだ。

 敵艦への体当たりを任務とした特攻隊と「これからを生きる学童」との希有な出会いが戦争末期に繰り広げられた浅間温泉。その知られざる逸話を発掘した『鉛筆部隊と特攻隊』(2012年)を皮切りに、松本発の特攻隊物語をこれまでに5冊執筆、出版した。
 戦況の悪化で制空権の崩壊や軍需工場の疎開が進み、陸軍松本飛行場が重要拠点化していた昭和20(1945)年春、中継地となる松本には相当数の特攻隊が飛来。浅間温泉に逗留した。しかし敗戦時の戦時記録の焼却処分により、詳細は長年闇に埋もれていた。
 そこに一筋の光を差したのは、特攻隊との出会いをつづった疎開学童たちの記録だった。きむらさんは平成20(2008)年、自身のブログに寄せられた書き込みをきっかけに元疎開学童たちと知り合い、彼らの手元に残る日誌や手紙、特攻隊員の遺墨に出合った。体系化されていない断片的な情報からは、全貌は見えない。丹念に向き合い、津々浦々に足を運び、証言の聞き取りを重ねる中で埋もれた歴史を書き起こしていった。
 終戦2カ月後の昭和20年10月、満州(現中国東北部)で生まれた。直接は戦争を知らない。しかし中学2年の遠足で訪れた長崎原爆資料館で「終生忘れ難い強烈なショックを受けた」。一発の原子爆弾が奪った7万人以上の命。その史実を伝える展示を通して、戦争の惨さ、醜さをわが身の痛みとして感じた。「記録ほど大事なものはない。それをたどり、過去にさかのぼることで今を分析できる。自分たちが生きていく手掛かりになる」。今日の活動を貫く信念も、この時の経験の延長上に生まれた。
 現在は6冊目を執筆する。戦争体験者が次々鬼籍に入る中「掘り起こしは限界の瀬戸際にある」と焦りをにじませる。一方、インターネット時代の新たな可能性に手応えを感じることも。ネット空間に言葉を放つと、見知らぬ誰かが拾い上げ、応答してくる。この予期せぬ情報提供を足掛かりに歴史の空白が埋まる展開を、この間何度も経験した。
 戦争の実相を伝えること、それは平和の希求そのものでもある。「今を生きる者が記録を拾い集め、伝承していく。それも美化せず、客観的に」。そう話している。