2024.8.21 みすず野
フォークソングブームの昭和47(1972)年、ラジオからコンサートの録音が流れた。3人編成のザ・ナターシャー(のちナターシャ)・セブンの東京デビューで率いていたのが高石ともやさんだった◆4人となったグループは51年から3年がかりでLP11枚組の「107ソングブック」を発表。米国のフォークソングやブルーグラス、オリジナル、日本民謡などに取り組んだ。48年から中断も含め平成23(2011)年まで京都市で開催された「宵々山コンサート」の中心だった高石さんはグループ解散後も出演。一部は26枚組CDになった◆高石さんの活動で特筆されるのは、米国の歌を翻訳して歌いやすい日本語の歌詞を付けたこと。この成果が前記の音源にぎっしり詰まっている。誰よりも音楽の楽しさ、歌の面白さを教えてくれた◆17日、82歳で死去。アメリカ民謡「キープ・オン・ザ・サニー・サイド」は「陽気にいこう」と訳した。1番はこうだ。「喜びの朝もある/涙の夜もある/長い人生なら/さあ陽気にいこう/陽気にいこう/どんな時でも/陽気にいこう/苦しいことは/わかってるのさ/さあ陽気にいこう」。