取りやめ決まった高ボッチ草競馬 市内に存在した証し 校歌や消印

塩尻市郊外の高ボッチ高原で昭和27(1952)年から約70年にわたって開かれた、高ボッチ高原観光草競馬大会。塩尻の夏の大イベントだったが、出走馬の確保の難しさなどを理由に、今後は開かれないことが決まった。ただ、草競馬は市内の学校の校歌や、郵便局の消印のデザインに残る。当地の風物として親しまれた証しとして、ともに今後も使い続けていく考えだ。
「いつの日か わたしは思いだす 人生の途中のどこかで 高原のレンゲツツジを 草競馬を」。広陵中学校の校歌の後半部分だ。平成元(1989)年の学校創立時に、詩人の金井直さん(1926~97)と作曲家の岩河三郎さん(1923~2013)が校歌を作った。初代音楽科教諭の高山雪さん(67)=山形村=によると、学校の敷地から見える風景や、地域の特色、産業が盛り込まれている。「塩尻全体のすてきなところをちりばめた壮大な合唱曲」と魅力を話す。
開校当時、金井さんと岩河さんは同校を訪れて生徒たちに校歌を熱心に指導したという。高山さんは「校歌には、子供たちが素晴らしい地域から将来離れても、地域や学校を忘れずに羽ばたいてほしいという思いが込められていると思う」と話す。
市内の郵便局の中で高ボッチ高原に一番近いという塩尻中町郵便局(塩尻町)は、デザイン入りの消印「風景印」の絵柄に、草競馬を加えている。平成5(1993)年の移転記念で風景印を作った。窓口で見本を掲示し、毎年8月に草競馬大会があったことなどを説明している。
馬が好きな人や草競馬が好きだという遠方の客から風景印を押してほしいと依頼もある。草競馬大会は終了したが、岡澤利恵子局長は「はがきや封書に風景印を押して送り、塩尻を知ってもらうきっかけになれば」と利用を勧めている。