2024.7.4 みすず野
父が使っていたステッキがあったと思い出した。木製で、凝った飾りのようなものはなく、地味なデザインだった。使っていたのは足腰が弱った晩年の短い期間。思い出すと手にしてみたくなり、探しているが見つからない◆最近のステッキ事情を調べてみると、材質、飾りなど、凝ったものも少なくない。親の世代のようだが、帽子にステッキでゆっくり歩くのは楽しそうだ◆「ボードレールは、まるい銀の握りのついた黒檀のステッキで、リュクサンブル公園を散歩しただろう。バルザックは借金で買った大きな金の握りのステッキで、オペラ座のボックス席に現れ、いささかバカにされたのではないだろうか。成金趣味はいつの時代にもある」(『むだ話、薬にまさる』早川良一郎著、みすず書房)◆ステッキを手に散歩に出た著者は、公園のベンチに腰掛け、同じようにステッキを愛用していた友人たちを思い出すが、みんな他界したことに気付きはっとする。でも「人生晴天のつづいているうちは、ステッキ振り振り散歩を楽しもう」とベンチを離れる。何年か先、夏の人影もまばらな田舎道を、ステッキを手に歩くのもいいかな。