教育・子育て

塩尻の内畑遺跡から竪穴住居跡5軒 平安初期~中期か

発掘調査が進められている道路予定地の内畑遺跡

 塩尻市教育委員会は、広丘吉田の市道(都市計画道路)広丘東通線の整備工事を前に、道路用地にかかる内畑遺跡の発掘調査を進めている。市が買収した建部社東側の土地で、対象面積は約1400平方メートルあり、これまでに平安時代とみられる竪穴住居跡5軒が見つかった。発掘作業は6月上旬まで続く。

 建部社を含む一帯が内畑遺跡と呼ばれている。発掘調査は市の委託で、火曜日から金曜日までの週4日実施している。延長100センチ弱、幅4~5メートルの範囲で、4月12日に着手し、重機で50センチほど掘り下げた後、16日から作業員が手作業で土をかいている。
 50~100センチの深さで見つかった住居跡は、今後精査が必要だが、平安初~中期(800~1000年ごろ)とみられる。土師器や須恵器の破片などが出土したという。住居跡の来歴が分かるという堆積土も確認し、記録も付けている。調査結果は報告書にまとめる。
 発掘を担当する市立平出博物館職員の牧野令さん(39)は「今まで土器が出た記録しかなかったので、集落が築かれていたことを確認できたのは大きな成果」と話す。『塩尻市誌』(第2巻)では、内畑遺跡に関して土師器が収集されたという2行程度の記述にとどまる。
 現場は、道路整備計画に伴って桜並木が伐採された道路沿いで、重機による盛り土により作業の様子は道路側からは見えなくなっている。