連載・特集

2024.5.7みすず野

 古本を買うと、表紙を開いた見返しに、著者の署名と思われる文字を見つけることがある。直筆の文字に価値のある作家は別だが、近年の著者だと特別な値段が付くことは少ないようだ。本物なのか不明な場合もある◆最近、古書展で手に入れた1冊に、片仮名で「ドナルド・キーン」と書かれていた。キーンさんは5年前に亡くなった日本文学者。本は平成2(1990)年に刊行されている。東日本大震災後、日本国籍を取得して日本名を「キーンドナルド」とした◆署名は黒色の万年筆で書かれているようだ。持ち帰ってから気付いた。思わず笑ったのは、その文字が片仮名を覚えたばかりの小学生が書いたような拙い筆跡だったからだ。おそらく本の持ち主がいたずらに書いたのだろう。それでも一応確認してみようと、インターネットで署名の画像を検索した◆そこに並んだのは、本の文字に酷似した筆跡の片仮名。多分本人の署名だろう。当時は毎年4カ月間、コロンビア大学で教えていた。日本語は書けるが、この本を日本語で執筆したのではないのだと、あとがきで記している。『少し耳の痛くなる話』(塩谷紘訳、新潮社)が書名だ。