2023.9.15 みすず野
漱石の『三四郎』に〈午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った〉。〈午砲〉は明治・大正期の文によく出てくる。空砲を撃ち、正午の時刻を知らせた◆筑摩叢書の『わが落語鑑賞』を読んでいたら、語釈に〈陸軍省が貧乏になったので〉大正11(1922)年9月15日でやめた―とあった。東京では明治4(1871)年に近衛砲兵がドンとやったのが始めという。松本でも城山公園で鳴らしたと何かで読んだか聞いたかした覚えがある。いつからいつまでかは市史などに当たれば分かるかもしれない◆過日の投稿欄「口差点」に山形村の農家の方が、昼前と夕方に鳴り響くサイレンを〈農村の音の風物詩〉〈戦後の文化遺産〉とたたえる一方で、転入者の声も聞いて進める村づくりのスタイルを〈いいだろう〉と寄せていた。卓見だと思う。目的にかなうか、必要か否か。議論を尽くしていただきたい◆午砲を〈ひるめし〉と読ませる小説もある。木曽にいた時、のどかな木曽節のメロディーが流れてくると空腹を覚えたものだ。サイレンの存廃は住民の皆さんが決めることだが、音で時を告げるという時代色が消えてしまうのは少し寂しい。