父の戦没地・硫黄島で遺骨収集 穂高の由井さん、惨禍の痕跡を記録に

天皇、皇后両陛下が7日、戦後80年の「慰霊の旅」で最初に訪れた太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)。安曇野市穂高有明の由井武士さん(88)の父親は、この地で戦死した。由井さんは遺族として遺骨収集に2度参加し、当時の記録を100枚以上の写真や8ミリフィルムに保存している。惨禍の記憶を伝える貴重な資料だ。
硫黄島では昭和20(1945)年の2~3月、本土防衛の最前線として日米が激しい地上戦を繰り広げ、日本側約2万1900人、米側約6800人が死亡した。由井さんは日本側の将兵の遺族らでつくる硫黄島協会の一員として昭和53年と55年の2回、遺骨収集団に参加し島へ渡った。
大部分が平らな火山島で真水がなく、各地の地下壕の温度は地熱で50~60度にもなる。たまったガスを抜いてから電灯を携えて作業に入り「1柱でも多く持って帰りたい」と、仲間とともに汗だくになりながら夢中で探した。
遺骨を見ると涙がこぼれたという。水筒を胸に抱えた遺骨、入り口付近に大勢集まる遺骨、鉄帽をかぶった頭蓋骨―。その都度手を合わせ、お経を上げた。
収集した遺骨は初回が123柱、2回目は102柱。全てを持ち帰れないため焼骨し、遺灰は海にまいた。「身元が分かった遺骨も数柱ある。とても大事なことだと思う」
少年の頃に生き別れた父親の戦死した所は分かったが、遺骨は確認できなかった。「自分の気持ちを何かの形に残したい」。父親を含む全ての戦没者のために、自然石の小さな慰霊碑を建てた。
由井さんは、一連の作業を記録した写真やフィルム、手紙を大事に保管している。当時の砲弾や生活品も持ち帰り、多くは諏訪市の博物館に寄贈したが一部は手元にある。
天皇陛下の慰霊のニュースに接し「ありがたいし、良かったと思う。1万人以上の遺骨が収集されずにいると思うと、一緒に行きたかった」。戦後80年がたち若い世代の戦争への関心の薄れを感じているとし「語り継ぐことが難しい世の中になった。1点でも2点でも役に立つのであれば協力したい」と話している。