地域の話題

大地震のミャンマー救おう 塩尻・宗賀の渡邊和子さん沈痛 教育支援を続け20年余

ミャンマーにいる人たちとスマートフォンで連絡を取り合う渡邊さん

 ミャンマーで教育支援活動を20年余り続けている塩尻市宗賀の自営業・渡邊和子さん(73)は、3月28日にミャンマー中部で発生した大地震の被害に心を痛めている。ミャンマーに建てた小学校に被害はなかったが、震源近くの第2の都市・マンダレーにいる知人からは建物が倒壊して道路が寸断、水や食料が不足し、余震が怖くて夜は家の外で寝ていると知らされた。長引く内戦に加え、震災、5月からの雨期の影響で避難生活がさらに過酷になると見込み「現地と相談しながら、できることをしたい」と支援策を考えている。

 地震発生直後から現地のミャンマー人や日本人と電話やメールでやり取りしている。被災状況や救援救助活動の様子、寸断された交通網などの情報収集をしている。食料の確保が難しく、2日にマンダレーのミャンマー人と電話で話した時は「飲み水がないから欲しい」と求められた。死者が増え続け、遺体を収める袋が足りない状況という。
 渡邊さんによると、ミャンマーは地震が少ない国で、防災教育が普及していない。万が一に備えた心構えや、余震への知識もあまりなく、救助が遅れている要因になっている。
 渡邊さんは平成9(1997)年、旧楢川村木曽平沢の漆芸家らと、漆工芸が盛んなミャンマーを訪ねた。子供たちの劣悪な学習環境を知り、教育施設を整えようと、現地の大学で言語を学びながら、国内各地の小学校や地域で要望を聞いて回った。幾つもの小学校を建設した。今も学校の様子の把握や維持管理のために年に数回訪れ、学費の援助も続けている。
 旧楢川村とミャンマーの文化交流で、楢川に来て漆芸を学んだミャンマー人たちは現在、母国の漆芸大学の教員や作家となり、楢川とのつながりを忘れずに働いているという。
 渡邊さんは「ミャンマーは軍事政権下で、自分は軽はずみな行動が取れないが、現地の情報を得て発信することはできる」と、塩尻にいながらできる支援に当面は専念していく。