連載・特集

2024.12.30 みすず野

 「漱石が来て虚子が来て大三十日」。正岡子規は明治28(1895)年にこう詠んだ。子規29歳の作。漱石は子規と同い年で、まだ『吾輩は猫である』も『坊っちゃん』も書いていない。弟子の虚子は七つ下だから22歳の青年だ。俳人の夏井いつきさんは「子規周辺の人々が子規を語る時、彼に近ければ近い人ほど辛辣な言葉を使う」(『子規365日』朝日文庫)という◆そんなことも含めて子規の魅力は「この句の根底に溢れる情ではないか」と読み解く。「漱石が来たぞ虚子が来たぞと喜ぶ子規をなんだかんだいって皆愛していたのだと納得する」のだと◆同じく俳人の江國滋さんは「一人は千円札の顔になるわ、一人は大虚子と呼ばれる俳聖になるわで、俄然スケールの大きい句になった」(『滋酔郎俳句館』同)と賛嘆。「友を選ばば、というのは、こういうことなんだなと」。政治家の名前を当てはめると「なまぐさくていけない」とも◆例えば「石破が来て岸田が来て除夜の鐘」とか。俳句にはなる。能登半島の人たちが安心できる、猛スピードでの復興を一日も早く。もう1年がたつのだ。それができれば何句でも詠みますよ。