地域の話題

松本市美術館で香取秀真特別展 「先生の優しさ思い出」疎開先の萩原寿実子さん語る 

矢﨑家に残る書画や写真を見ながら当時を懐かしむ寿実子さん(中央)ら

 松本市中央4の市美術館で12月1日まで特別展を開催中の松本ゆかりの金工作家・香取秀真(1874~1954)は戦時中、妻と松本に疎開し、同市里山辺の矢﨑家に2年半ほど滞在した。当時幼かった矢﨑家の次女・萩原寿実子さん(81)=和田=は、香取と過ごした日々を鮮明に覚えており「優しくて大好きだった」と振り返る。

 矢﨑家は塩尻市宗賀出身の妻の遠縁で、当主らが歌人でもあった香取と同じアララギ派で歌をたしなんだ縁もあったとみられる。昭和20(1945)年4月~22年10月に8畳2間を食事付きで無償で提供し、空襲で東京の自宅が全焼し作品も売れなかった苦しい時期の香取を支えた。
 寿実子さんは朝、物音が聞こえると香取の元へ駆け寄り、井戸での洗顔に続き散歩についていった。外した入れ歯を子供に近づけて怖がらせるなど「品がありながら人間味を感じさせる面白いところもあった」。書の仕事では、納得いくまで何度も書き直していた姿が忘れられないという。
 寿実子さんの弟で家を継ぐ欣一さん(79)は香取の滞在中に生まれ、お宮参りやお食い初めに香取が詠んだ歌が残る。近隣住民を含め夫妻とは帰京後も交流が続き、矢﨑家からの転居と前後して母が亡くなると「お母さんは、あの雲の中に生きているよ」と香取が好きな乗鞍岳にかかる雲を指さして慰めてもらったことも寿実子さんの思い出だ。
 寿実子さんは頻繁にやり取りした手紙を大切に保管しているほか、矢﨑家には数多くの作品が飾られ、今も香取を身近に感じるという。「先生には心を開いて何でも話せ、母を失った後の救いだった」と振り返り、今展に「涙が出るほどうれしい。第二のふるさと以上の松本で先生もどんなにうれしく、喜んでいることか」と思いをはせている。