連載・特集

2024.6.3 みすず野

 「高等学校時代をソバの本場の信州で過しながら、その期間、ソバとはまるで縁がなかった。食糧難のひどい敗戦の時期だったからである」と、旧制松本高校で学んだ北杜夫さんは「ソバ閑話」という短いエッセーで書いている(『そばと私』季刊「新そば」編、文春文庫)◆「ソバくらいあったでしょう」とよく聞かれるが、「本当に、松本に在学中はソバを一度も食べたことはなかった」という。ようやくおいしい信州そばを食べられたのは、医局時代の夏を過ごした軽井沢のそば店で「一杯のカケでは腹がへるので、また二杯を頼むと金がかかるので、私は白いソバ湯を全部飲んで引上げるのを常とした」◆松本は「こよなく懐かしい」が、訪れる機会が減っていく。それが3年続けて上高地を訪れる。梓川の水や穂高の岩峰は変わっていなかったと書く◆松本に戻り、タクシーの運転手に頼んでうまいそば店に寄る。「老いぼれてきてようやく、私は信州ソバとなじみになれたようだ」と結んだ。「新そば」の昭和59(1984)年1月号に掲載されたから、前年までのことか。どくとるマンボウは、さて、どの店を訪ねたのだろう。