連載・特集

2024.06.09みすず野

 明治時代、松本城天守保存に大きく関わった。こう聞くと、博覧会を開いた市川量造をまず大勢が思い浮かべるだろう。ただ、旧制松本中学(現松本深志高校)の校長を29年間務めた小林有也の功績も劣らない◆有也が天守修築に乗り出したのは、松本中学の運動場が松本城本丸内になったからだった。明治34(1901)年に天守閣保存会が発足。仮事務所が松本城敷地にあった松本中学に置かれた。36年に修理が始まり、保存会の理事に就いていた有也は寄付集めにとどまらず、工事現場に出入りして積極的に働いた◆有也と市川量造の功績を雄弁に語る肖像のレリーフが、お城の本丸庭園にある。戦後の昭和36(1961)年に建立された。説明書きを読んでもらえるように、もっと存在が目立つ仕掛けをしてはどうか◆天守工事は日露戦争で一時中断したが、大正2(1913)年に完成。見届けるかのように10カ月後、有也は享年59、校長在職のまま逝去した。生徒への遺訓は「諸子はあくまでも精神的に勉強せよ。而して大に身体の強健を計れ。決して現代の悪風潮に染み堕落するが如き事のあるべからず」。きょう、有也の命日。