土地の起伏に富んだ場所に松本城の天守築いたか? 近年の調査で解明進む
国宝5城の中で唯一の平城とされる松本城―。実は、周囲との高低差10メートルの土地の高まりに天守が築かれたことが近年の地質調査などから分かってきた。一帯は自然の地形と人為的な土地の造成とを融合させた、起伏に富んだ場所だった可能性があるという。武田氏時代の深志城を踏襲して松本城が整備されたという通説を覆す調査結果も得られてきており、市教育委員会の文化財課城郭整備担当課長が6月1日に、市立博物館で開かれる歴史フォーラムで講演する。
松本城は今日目にする一帯の状態からして、平らな土地に築かれたイメージが定着している。しかし天守の耐震診断に絡む近年のボーリング調査や表面波探査などから、天守の真下は自然地形の高まりだったことが分かってきた。断面から判断される高低差は最大10メートル。築城時に差がどの程度あったかや、どのように周囲が埋まったかは分からない。
周辺発掘調査からは、同様に二の丸や三の丸も起伏に富んでいたことが判明。谷状地形を利用して堀を造り、その上に高低差5メートルもの土塁を築くなどしていた。道は周囲よりも高い場所に通すなど「平らな土地を選んだのではなく、山あり谷ありの土地をうまく利用したのではないか」と城郭整備の竹内靖長担当課長は話す。
武田氏から小笠原氏、石川氏へと城主が変わる中で城郭の整備が進み、今日にも通じる町割りが完成したとされる松本城。しかしその原型とされる深志城と江戸時代の三の丸の区画や軸線は一致せず"深志城踏襲説"が覆える可能性も出てきている。竹内担当課長は「変遷の解明から松本の成り立ちの歴史が見えてくる。今後の調査研究でさらなる全体像が明らかになるように」と期待している。
歴史フォーラムは午後2時から。参加費1000円(ウェブ参加500円)。申し込みは主催の信州フォーラム(電話0263・34・1514=留守録)へ。