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四賀・原山の野辺送りの輿 松本市立博物館へ 土葬の習俗伝える資料

倉庫から運び出した漆塗りで花の模様が描かれた葬儀の輿

 松本市四賀地区の原山町会で、江戸時代末か明治時代から使われていたみられる葬儀の輿がこのほど、市立博物館の収蔵庫に収納された。漆塗りの立派な屋形に死者を納め、担いで自宅から墓地まで運ぶ際に使われていた。今は行われなくなった葬列・野辺送りの貴重な資料として保管される。

 輿の全体の高さは約1・5メートル。六角形の胴部の上に、鳳凰の飾りが付いた曲線状の屋根が載る。一番下は約1メートル四方の基壇で、左右に長さ約3メートルの長柄を通し、前後二人ずつで担いだとみられる。屋根にボタンの花、胴部や基壇に鳳凰が舞う姿やキク、キキョウの花が描かれ、祭りの神輿のようでもある。輿のほかに、葬列で持った「南無阿弥陀仏」と記された旗や木製の龍頭なども残されている。
 四賀文化財保護協会長で、原山に住む市川恵一さん(74)によると、輿は土葬が行われていた65年ほど前まで、使われていた。市川さんは「4歳の時、祖父の葬式で使ったのを覚えている」と話す。胴部と屋根の部分だけ家に運び入れ、棺としても使っていたという。
 輿は旧四賀村では各町会にあったが、葬儀が近代化する中で、焼却され、残るのはこの一基のみ。地区の雨漏りもする古い倉庫での保管だったことから、博物館での収納を依頼。市立博物館は、館内の資料審査会で収納を決めた。
 この日は、学芸員らが輿を倉庫から地区内の旧錦部小学校の外部収蔵庫に移動させた。学芸員の武井成実さん(30)は「野辺送りという習俗を知る資料として現物が残っているのはありがたい。展示できる機会をつくれたら」と話した。大切に守ってきた市川さんは「これでひと安心」と穏やかに語っていた。