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65年前の伊勢湾台風の爪痕残す烏川橋、今も現役 一部継ぎ足し歩道橋に

烏川橋の歩道橋。手前が延伸された部分。橋の中ほどに当時の親柱の一部が残る

 安曇野市穂高地域に65年前に発生した伊勢湾台風災害の爪痕を残す橋がある。穂高柏原と穂高牧で烏川に架かる烏川橋(県道塩尻鍋割穂高線)で、洪水による浸食で川幅が広がって橋のたもとと道路が流されてしまい、継ぎ足された珍しい歴史をもつ。当時は車道橋だったが、すぐ上流側に新しい橋ができて歩道橋となり、今も"現役"として歩行者の安全を守っている。

 歩道橋は昭和6(1931)年建設のコンクリート製。台風の翌年に25メートルほど継ぎ足されて長さが約60メートルになった。昭和62(1987)年に現在の烏川橋が完成し、歩道橋として残された。時代が昭和から平成、平成から令和へと変わり、橋の経緯を知る人はほとんどいなくなった。
 台風による洪水で川岸が削られ、橋のすぐ北側にあった2階建ての家屋が流された。橋自体は無事で、当時は橋の端にあった親柱の一部が、延伸された部分との境目(橋の中ほど)に今も残る。
 当時3歳だったアルバイト男性(68)=穂高柏原=は、父親に連れられて増水した烏川を見に行ったことを覚えている。「大きな石が流れてきて石同士ぶつかりあい、火花が飛んでいた」と威力を語った。高校生だった男性(81)=同=は、橋の北側の家が流される様子を目の当たりにした。「川岸がどんどん削られ、家が水面に落ちると同時に崩れた。橋も流されるのではないかと恐怖を感じた」と語る。
 烏川橋は西山地域を南北に貫く山麓線の一部で、すぐ上流側に国営アルプスあづみの公園堀金・穂高地区が広がり、多くの観光客や自転車愛好家らに利用されている。髙橋さんは「橋の老朽化が進んでいるが、一つの遺産としてあれば、災害に対する気持ちも新たになる」と防災意識を高める教材としての活用も期待していた。
 県安曇野建設事務所は「災害のすごさを伝える橋が残されていることを知り、防災について意識してもらえたら」としている。