連載・特集

2024.5.25 みすず野

 明治天皇の暗殺を準備した容疑で、多くの摘発者を出した「大逆事件」。摘発された一人、宮下太吉は現在の安曇野市明科地域の製材所で働いていた。宮下は明治43(1910)年のきょう、爆発物取締罰則違反容疑で松本署へ連行された◆かつて小紙が連載した評伝「脚光」で、宮下を取り上げている。宮下は天皇が乗る馬車に投弾するための爆裂弾作りを進め、42年11月に完成させた。43年元日に東京で同志たちと爆裂弾の効果を検討し合った。その中に社会主義者の幸徳秋水もいた◆内偵を進めていた警察は5月20日、宮下の下宿を家宅捜索し、ブリキ缶3個を発見した。これが摘発へつながった。宮下らが計画を自供し、大逆罪が適用された◆社会主義者鎮圧を使命とする桂太郎内閣が大規模な取り締まりに乗り出し、幸徳が中心人物とされた。「宮下事件」は「幸徳事件」になった。ただ、幸徳の地元の高知県中村市(現四万十市)の市議会は平成12(2000)年、非戦論を訴えた幸徳の名誉を回復し、偉業をたたえる「秋水を顕彰する決議」を全会一致で採択した。世界情勢に不穏さが増すいま、この意味をしっかり考えたい。