連載・特集

2024.3.20 みすず野

 「おばあさんは毎日、日のあたる硝子戸の中の縁側にすわって、マリをかがっている」と、「春のてまり」と題したエッセーは始まる。英文学者・福原麟太郎が、昭和37(1962)年に書いた1編である(『福原麟太郎随想全集・3』福武書店)◆まりを人にあげるのが楽しみで作っている。まりの模様は、昔教わった15種類ほどを覚えている。それを繰り返しているだけでは退屈してしまうから、新しい模様を習わなくてはならない。「そのうち、信州松本にマリをかがっている専門家があることを家の者が新聞で読んだ。早速取り寄せてみる」とある。松本てまりだ◆筆者は三十何年前、船で初めてヨーロッパへ向かった。「私の旅立つ時、おばあさんはまだおばあさんでなく、六十歳に達しない母親であった」。岸壁でテープの端を握っていた。「日だまりの縁側でマリをかがるおばあさんを私は眺め」ている◆きょうは春分の日。すぐにでも春の到来と期待していたが、今年はゆっくりとやって来るようだ。まだ暖房が必要な日々。てまりを作るおばあさんの背中は、緩やかな曲線を描いているような。そんな姿が思い浮かんでくる。

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