2023.8.28 みすず野
作家の立松和平さんは講演先のホテルで原稿を書き終え、居酒屋ののれんをくぐった。頼んでいないウニだの何だのをおやじが次々と差し出す。勘定は初めに注文した熱かんとイワシのみの1200円だった◆土地の歴史や産物に触れながら杯を傾ける。これほど楽しいひとときはあるまい。おまえは「酒場詩人」の吉田類さんか―とツッコまれそう。居酒屋の旅をした経験は無い。だから、憧れる。東北地方の地図を広げて花巻や平泉、会津...と地名を指さす。福島県沖ではどんな魚が取れ、どこで食べられるのだろう◆原発事故から12年。処理水の海洋放出が始まった。数十年かかるという。漁業に悪影響が出ないよう、情報の発信を政府と東京電力に求めたい。それにしても―だ。事態の深刻さを聞くにつけ、一方で、どうして原発推進へとかじを切ったのか。筆者は理解できない◆冒頭のおやじは若い頃に小説家を目指したといい、テレビでもおなじみの作家の顔を知っていた節がある。きっと誰もが同じ恩恵にあずかれるわけではない。立松さんはこの一件をエッセーにつづり、賢治童話をもじって〈注文のない料理店〉と題した。