2025.5.6みすず野
今年こそは早めに農作業を進めようと、連休中、肥料を買いに出かけた。1袋20キロ入りを4袋台車に載せて軽トラックの荷台に移し替えようとした。「私がやりますよ」という声に振り向くと、笑顔の女性店員が1袋抱えて荷台に載せてくれた。驚いて、自分でやりますと丁重にお断りした◆親切だなと思ったが運転しながら気づいた。年寄りと思われたのだ。袋を落としたわけではないし、20キロ程度どうということはない。それでもはた目には危なげに見えたのだ◆作家の黒井千次さんは電車で幼児を抱いた若い母親と並んで立つ。幼児と目が合うと視線はこちらを向いたまま。すると母親が「ほら、オジイチャンにコンニチハしなさい」。その途端、急に老人に変わったような思いにとらわれる◆「オジイチャン」が「外観・風采によって判断されたいわゆる年寄りのことであったのは明らかだ」と思う(『老いのかたち』中公新書)。年を取ったら老いを認め、受け入れる姿勢が望ましいと思っていても、他人から「オジイチャン」だと言われると動揺する。それもまた「老いの自然の一部であるだろう」と。揺れる頭の中で思いは巡る。