2023.7.18 みすず野
新田次郎の小説『聖職の碑』は映画にもなった。40年以上も前だから、山岳遭難事故で命に代えて生徒を救おうとした教師―との印象しか浮かばないが、読み返せば新たな感慨が得られるかもしれない◆何度か学校登山に同行取材をさせていただいた。忘れられない場面がある。登山経験が浅く体力も劣る記者は長丁場の行程にバテていた。早くビールを飲みたい。夕食が済み、生徒たちの寝息が聞こえ始め、先生方の打ち合わせも終わった。山小屋の主人が「お疲れさまでした」と缶をお盆で運んでくる。そのとき校長がぴしゃりと言った。「下げてください」◆明治・大正期以来の信州の伝統は角を曲がった。登山を行う学校が減り、代わって自然体験や探究学習が目立ってきている。登頂の喜びを知る身としては登山を続けてほしいと願うものだが、片や、参加できない生徒や級友たちの心情、教師の負担を考えると―そうとばかりも言えない◆くだんの校長は引率中の遭難事故を体験されていたのだ。飲むのが悪いと言うのではない。教師という仕事の重さや学校登山の素晴らしさを教わる思いがして、心に残る〝聖職の碑〟だった。