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浅間温泉にあった「三鱗産報会館」の表札現存 終戦時に油絵展の会場

サンリンの社屋で確認された三鱗産報会館の表札

 終戦間際の昭和20(1945)年8月、石井柏亭(1882~1958)ら疎開画家を中心として松本市浅間温泉で開催され、後の長野県展の礎となった「在信州有志油絵展覧会」の会場「三鱗産報会館」の表札が、燃料販売などのサンリン本社(山形村)で見つかった。既に取り壊されて存在しない会館に代わって、戦後の郷土美術史の幕開けを象徴する記録の一つになりそうだ。

 表札は木製で、長辺が60センチ、短辺が10センチ。表に白字で「三鱗産報會館」と彫られ、背面に昭和十九年と書かれている。長年袋に入った状態で松本市内の旧本社に置かれていたものを監査役が見つけ、近年になって山形村の社屋に持ち込まれたが、何を指すのか分からずにいたという。美術に造詣のある常勤相談役の柳澤勝久さん(70)が今月、画集『松本平の近代美術』に登場する会館の記述に目を留め「郷土の美術界の端緒になった施設の表札なのではと驚いた」。
 三鱗産報会館は、サンリンの前身・信濃三鱗が浅間温泉に建てた福利施設で、第3代社長・等々力政門や美術家らが交流を重ねるサロンのような場所だったという。朝日村出身の画家・清沢清吾が昭和10年代に描いた「浅間温泉上浅間駅付近」には赤屋根の会館が鮮やかに描かれる。
 この2階の板張りフロアで昭和20年8月11~15日、東京から疎開していた中央画壇の柏亭ら有志が油絵展を開催。小規模ではあったが、同年11月に開かれた第1回全信州美術展や後の県展の弾みとなった経緯が前述の画集につづられている。
 今年は油絵展や終戦から80年の節目の年だ。柳澤さんは「信州の美術振興につながった歴史の一つのシンボルとして、表札を大切に継承していきたい」と話している。