県犀川砂防事務所開設85年 代々受け継ぐ漢詩の掛け軸

安曇野市明科中川手の県犀川砂防事務所の所長室に、昭和14(1939)年の事務所開設を歓迎する漢詩の掛け軸が飾られている。当時の広津村(現在の池田町、生坂村、大町市の各一部)の「峯の在家」集落が、土砂災害から地域を救う事務所の誕生を祝って贈った書。開設から85年が過ぎ、事務所が3代目となった現在も大事に受け継がれている。
漢詩には、土砂災害にさいなまれている地域の現状と砂防事務所の開設に寄せる期待感が込められている。同集落の住民一同が、同じ集落の漢学者・帯刀三枝一さんに書いてもらって寄贈した。
当初から所長室に飾られていたかどうかは不明だが、平成5(1993)年春、宿直室の隅でぼろぼろに破けた状態で見つかったという。四賀村(現・松本市四賀地区)の表具店で表装と裏打ちをやり直して以降、住民の砂防に対する認識や漢詩の意義を長く後世に伝えようと、所長室に掲示している。
同砂防事務所は現在の安曇野市明科南陸郷に開設された後、昭和38(1963)年に現在地に移転した。建物の老朽化対策として令和4年12月から2年かけて耐震改修工事が行われ、増築棟は通常施設の1・5倍の耐震性能を備えるなど、地域の防災拠点としての機能が強化された。
同砂防事務所は、松本市四賀地区、安曇野市明科地域、大町市八坂地区、池田町、筑北村、麻績村、生坂村の計7市町村で砂防事業を手掛けている。地質がもろく、主に犀川沿いに国指定の「地滑り防止区域」が68カ所と集中している。砂防に特化した地方自治体の事務所は全国に4カ所しかないという。
髙野佳敏所長は「砂防に対する地域の期待が大きいことを感じている。それに応えていきたい」とし、掛け軸が事務所の宝として今後も引き継がれていくことを願っていた。