戦時中の月刊誌 穂高の赤羽さんが今も保管 戦後80年 世相知る資料

安曇野市穂高の元中学校教師・赤羽正誼さん(91)は、戦時中に発行された月刊誌「飛行少年」「航空少年」など20冊を今も大事に保管している。当時の世相を知ることができる貴重な資料で、戦意高揚の目的が全面的に読み取れる。終戦から80年の今年、赤羽さんは日本の安全保障の在り方を危惧している。
保存している資料で一番古いのは昭和16(1941)年の「飛行少年4月号」で、「大日本飛行協会発行」とある。東京―新京(当時の満州国首都)間2400キロの飛行記には「堂々学生鳥機9機」の見出しが躍る。
一番新しいのは19年の「航空少年12月号」で、「東京誠文堂新光社発行」と記されている。表紙には「われらも神風特攻隊に続かん」の見出し。日本が没収した米軍爆撃機B29の構造を紹介する記事や、マンガ「荒鷲航ちゃん米英撃滅日記」が掲載されている。
赤羽さんは、「爆撃王」と呼ばれた隼戦闘隊の加藤建夫隊長に憧れ、活躍を伝える記事を心躍らせて読んだという。加藤隊長をたたえた「空の神さま」という歌の歌詞も載っている。
赤羽さんは松本市の中心市街地・上土町にあった「赤羽理髪店」の長男で、雑誌は「大名町にあった鶴林堂書店で買っていた」と話す。雑誌一冊は50銭。「50銭で、支那そばを食べて映画1本を見ることができた」と記憶する。
紛失したり、友達に貸しっぱなしになったりした号もあったが、戦後10年以上たってから大事に保管したいと思い、手元に残った20冊をまとめて製本した。
赤羽さんは「戦闘機の写真を見て書き写したり、模型を作ったりもした。戦況が悪化していたためか、雑誌は戦争末期には薄くなっていった」と振り返る。
ロシアとウクライナの戦争、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの侵攻など世界情勢は揺れている。赤羽さんは「日本の将来は明るいのか、国防がどうなるのか、とても心配だ」と先行きを案じている。