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播隆像と登山家の志継承 遭難死した大西浩さん遺族 案内人・中田又重の子孫に託す

譲り受けた播隆上人のブロンズ像と中田さん

 県山岳協会副会長を務め昨年夏にパキスタンの高峰で遭難死した大西浩さん(当時64、松本市)が所有していた、北アルプス・槍ケ岳(3180メートル)開山の祖・播隆上人(1786~1840)のブロンズ像が、安曇野市三郷小倉のリンゴ農家・中田信一郎さん(48)に託された。中田さんは、播隆上人と初登頂した案内人・中田又重(1795~1852)の子孫で、播隆・又重の双像の建立構想を進めている。

 ブロンズ像は、朝日村出身の彫刻家・上條俊介(1899~1980)の作品で、高さ約60センチ。松本駅お城口に、昭和61(1986)年に建立された播隆上人像(ブロンズ、高さ245センチ)の試作段階で作製された。
 建立活動の中心となった、元高校教諭の小林俊樹さんが当初所有していた。小林さんが平成28(2016)年に死去し、松本深志高校で教え子だった大西さんが譲り受けた。
 松本駅前の播隆上人像は、構想段階では又重像との双像を予定していたが、資金難などから単独の像になった経緯がある。小林さんは83歳で他界するまで、双像建立を強く望んでいたという。
 播隆上人と又重は江戸時代の文政11(1828)年、三郷小倉を出発して槍ケ岳に初登頂した。中田さんら地元の有志3人は、初登頂から200周年を迎える令和10(2028)年に合わせ、「三郷小倉を槍ケ岳開山の里に」を合言葉に、安曇野市内で双像の建立を目指している。
 そうした活動を知る大西さんの登山仲間を介し、遺族から中田さんへ像が贈られた。中田さんは「大西さんとは面識はなかったが、高校生ら多くの人に山の魅力を伝え、夢を与えたと聞く。小林さんと大西さんの思いを胸に、双像建立を実現させたい」と話している。
 譲り受けたブロンズ像は、双像建立に向けた活動の中で活用していく考えだ。