2025.1.9 みすず野
餅つきに用いる臼は、木が一つと石臼が二つある。親から引き継いだ。でも餅つきは20年近くしていない。つくだけならどうということはないのだが、もち米をふかしたり、ついた餅をのしたりするのが一仕事だ。数年ほど餅つき機でついたがそれもやめてしまった◆「新年を、雑煮で祝う風習は、遠く十五世紀にさかのぼるというが、雑煮に欠くことのできない餅を、臼と杵を用いて景気よく搗く音が、師走の空にひびくなんて光景は、いつの間にかめずらしいものになってしまった」(『落語長屋の四季の味』(文春文庫)と、演劇・演芸評論家の矢野誠一さんが書いたのは40年近く前だ◆「いまやたいていの家庭が、賃餅はおろか、外で買ってきた餅で正月をすごしている」と続く。その仲間入りをしてしまったが、もちろん元日には必ず雑煮を食べる◆昭和20(1945)年の正月。矢野さんは、どこでどう手に入れたのか、家にあった餅を、親の使いで、隣組の出征兵士の留守家族へお裾分けに行った。「餅を手にして玄関に立っただけで、そこの奥さんに泣き出されたのを覚えている。国民学校の四年生であった」。今年は戦後80年。