2025.1.1 みすず野
松本市の松本民芸館を創設した丸山太郎(1909~1985)は商家に生まれた。「私たちは朝、若水を汲むと祖父をはじめ孫たちがみんな新しい着物に着替えて、恵方詣りに出かけた。洋服など着る子供は一人もいない明治の終りの頃である」と、元日の様子を記した(『松本そだち』信濃路)◆正月三が日の朝は「雑煮にきまっていた。おすましといって母が十二月ごろ味噌を煮て、その絞り汁を使った。短冊に切った人参、大根、昆布、凍豆腐と、鰤の小さなコマ切れのゆでたのを入れて、鰹節をかけて汁をそそいだ」とある◆店員が10人くらいいて、大変にぎやかな一家だったという。昭和50(1975)年に書かれた。松本に生まれ松本に育ち「明治・大正・昭和と生きて来た庶民の日常を、知っていただく事が出来れば幸いである」と発刊の目的を書いている◆「若水」と聞いて意味がわかる人はどれほどいるのだろう。「私の思い出す元旦は何時も快晴であり、すがすがしい記憶のみが残っている。過去六十年もの間、そうばかりではなかったにしても...」と記す。昭和100年の今年、新たな戦前になることだけはごめんである。