2024.10.1 みすず野
『徒然草』を著した兼好法師は酒を好んだ。酒宴のような場所で飲むのは嫌っていて、お一人さま暮らしの兼好は「心が通う人と和やかに酒を酌み交わすことを好んだ元祖家飲み愛好者だった」という。『晩酌の誕生』(飯野亮一著、ちくま学芸文庫)にある◆同書によると、一人飲みや家飲みは、夕食時に酒を楽しむ晩酌に発展し、江戸時代中期には、晩酌の習慣が農民の間にも広まった。庶民が一日の仕事を終えて、晩酌を楽しめるようになったのは、平和な時代の到来で生活が安定したのと、灯火が生活に取り入れられ、生活時間に夜が加わったことが大きいという◆現在の飯田市出身で、県歌「信濃の国」にも歌われる儒学者の太宰春台(1680~1747)は、酒は3杯と決めて毎晩晩酌を楽しんだ。飲み過ぎないように気をつけ「平均寿命五十歳の時代に、春台は適量の寝酒を愉しみながら長寿を全うした」そうだ◆きょうは「日本酒の日」。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」と歌った酒仙・若山牧水。秋はお酒のうまい季節だ。春台に倣い、3杯まで。あ、それではなく、もう少し大きな杯で。