2024.9.2みすず野
家にある大工道具は、のこぎりやのみ、やすり、なた、きりやかんな、ちょうななどだ。父が使っていたものだが、大工ではなかった。田舎の家には、どこでもこの程度の道具はあったようだ◆こうした道具は「日本の普請・家屋・村落の歴史を、つまりは日本社会の仕組みの大容と細部をつくりあげてきた道具たちである」と、先月80歳で亡くなった編集工学研究所所長の松岡正剛さんは『見立て日本』(角川ソフィア文庫)でいう◆地元だと畑などの小屋は、多くが仲間2、3人で建てていた。それぞれが知恵を持ち寄ったのだろう。一昨年、父が建てた小屋が公共事業にかかり、取り壊したが、頑丈にできていて驚いた。廃材などを巧みに利用してあった◆松岡さんは「すぐれた道具ですぐれた業を発揚することを『才能』とか『能力』と言った。『才』とは木材や石材に宿っている力のこと、それを引き出す技や業が『能』だ」と説く。才能や能力とは「素材や道具にそなわっているものを引き出せる仕業のことだった」のだと。記事を書くパソコンは道具だが、すぐれた道具だろうが、すぐれた業を発揮できるだろうか。なかなか難しい。