安曇野出身の清澤洌に脚光 関連資料の文化財指定受け

安曇野市が6月、市文書館が保管する旧北穂高村(現・安曇野市穂高北穂高)出身のジャーナリスト・清澤洌(1890~1945)ゆかりの資料141点を市有形文化財に指定したことを受け、関係者が知名度アップに期待している。市内には他にも清澤ゆかりの資料や場所があり、代表作の『暗黒日記』を再評価する声も高まっている。
市穂高交流学習センター・みらいのエントランスホールには、清澤の胸像がある。24年前に清澤洌顕彰会(現在は解散)が制作した。みらいでは6月に、清澤の代表作『暗黒日記』をテーマにした講座「戦中から現代を写す鏡」が開かれ、大勢の市民らが受講した。
『暗黒日記』は、太平洋戦争末期、戦争へ突き進んだ軍政を批判し国際平和、自由主義を願った清澤の名著といわれる。講師は「社会の進歩へつながる『批判』を重視する姿勢こそ学ぶべきもの」と締めくくった。
清澤は、地元の教育者・井口喜源治(1870~1938)が創設した私塾「研成義塾」で学び、16歳で渡米した。JR穂高駅に近い井口喜源治記念館には、清澤の米国からの書簡や古い著書などが展示・保管されている。
堀金烏川の市文書館は、『暗黒日記』の原本4冊、新聞記事のスクラップブックなど市文化財に指定された貴重な資料を保管している。一般公開はしていないが、調査・研究のための閲覧はできるという。『暗黒日記』の原本『戦争日記』は、県立図書館が運営するデジタルアーカイブ「信州デジタルコモンズ」で、自由に閲覧できるようになった。
市文書館の平沢重人館長は『暗黒日記』について、「日本が戦後、どのように生きるべきかを示す道しるべだった」と位置づけ、「安曇野市民に清澤のことをもっと知ってもらいたい」と願っている。