連載・特集

2024.4.25 みすず野

 松本市出身の旅行作家・下川裕治さんは昨年、岩手県花巻市を訪れた。昭和48(1973)年に開店、平成28(2016)年に閉店した地元の百貨店の大食堂で食事をするためだ。食堂だけは閉店の翌年復活していた◆昭和29(1954)年生まれの下川さんは、小学校3年から中学校卒業まで長野市で過ごす。長野市には地元の丸光百貨店があった。「デパートの大食堂―。そこには子供の頃の日々がぎっしり詰まっていた」。当時、家族で行く「百貨店の大食堂はちょっと小さなハレの日だった」(『シニアになって、ひとり旅』朝日文庫)という◆丸光を井上に置き換えて、同じ話を同僚から何度も聞いた。子どものころの彼にとって、それはどれほど楽しみだっただろう。松本平の人たちの思い出がぎっしり詰まった井上の松本駅前店舗は、来年3月末での営業終了が明らかになった◆井上の包装紙や紙袋にはステータスがある。靴下1足でもこれに包めば安心だという思いは、利用する人たちの間に培われた信頼感だ。当たり前のようにあるものがかけがえのない大切なものだと気付くのは、決まって失うとわかってからである。

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