連載・特集

2024.1.30 みすず野

 馬が路傍の草を食べて、進行が遅くなるのが「道草を食う」の語源らしい。好んでそうしたわけではないが、結果として目的に向かって一直線には向かわず、回り道をしたり、途中下車して知らない土地を訪ねたりするのが好きだと、文化人類学者の石毛直道さんは『道草を食いながら』(岩波書店)で書く◆「目標にむかって、まっしぐらに突進するという、効率第一の生き方は、わたしの性にあわない。本道からはずれ、おもしろそうなわき道に踏みこむ、脱線の連続であった」と振り返る◆会社員や公務員の出張に、道草は許されず、最短距離を短時間で行くことが要請されるともいう。確かにそうだが、なぜか道草を好んで年月を重ねてくると、そんな場合も決まってどこかで草を食べてしまうようになった。それは脇道にそれると本筋にはない面白さがあるからだ◆もちろん、そういう日々が時々間にはさまると、目的地への到着は遅れる。他者が先に行くが、その分、見聞を広めることはできる。通学途中、小川の流れを夢中でたどったり、虫を追いかけたりしたように。それは「人生の糧としておいしいもの」だと著者は説く。