連載・特集

2023.12.10 みすず野

 「四か村せんげいまも流れてゐるづらかみなみ原長者屋敷は夢のまたゆめ」。広丘村(現塩尻市)出身の歌人・若山喜志子が古希を過ぎて詠んだ一首だ。いるだろうかを表す〈ゐるづらか〉の方言に故郷をしのぶ喜志子の胸の内がにじむ。松本市の村井町第一公民館前に歌が刻まれた碑が立つ◆せんだって同市芳川地区の田畑を潤す用水路・四カ堰を本欄で取り上げたところ、文芸に詳しい方から、喜志子が関係する歌を残していると便りが届いた。せっかくなので大勢に知ってもらおうと筆を執った◆喜志子の歌碑というと、夫で旅と酒を愛した歌人・若山牧水の歌と共に刻まれたものが、松本、岡谷市境の鉢伏山山頂近くにある。牧水・喜志子夫妻の歌碑の除幕式は昭和42(1967)年5月、現地で行われた。あと1週間ほどで79歳になる喜志子は、歌碑近くの鉢伏山荘までは行ったものの高山病になり、残念ながら除幕式の参列はかなわなかった。が、以前、除幕式に参列したと記事にしたことがある◆その後日、除幕式に同行した喜志子の孫で沼津市若山牧水記念館(静岡県)館長の榎本篁子さんから電話があり、事実を教わった。