2023.11.5 みすず野
きな臭くなるばかりのいまの国際情勢を、この人が生きていたなら何と言ったであろう。松本の天白町(現松本市北深志)に生まれ反戦運動や普通選挙運動で知られる社会運動家・木下尚江(1869~1937)だ◆松本中学校(現松本深志高校)を経て東京専門学校(現早稲田大学)を卒業後、松本で新聞記者や弁護士をした。上京し、日露戦争に反対する非戦小説を書いた。「その後深い沈黙のなかから非戦論と非暴力の思想を練りなおし、民主主義の大切さを伝えました」(『木下尚江は終わらない』松本市歴史の里発行)◆複数の歴史的建造物が移築保存されている松本市歴史の里(島立)に尚江の生家も含まれる。松本市郊外の城山公園には機関車をかたどった顕彰碑が立ち、尚江がこの地にいたことを伝えている◆「幸徳の筆、尚江の舌」。日本初の公害事件といわれる足尾鉱毒事件で田中正造が天皇へ差し出した直訴状を代筆するほど文章がうまかった名文家・幸徳秋水と比べられるほど、演説が上手だったとされる人である。もし存命ならきっと今日の国際情勢を糾弾し、しかるべく道を示したことだろう。きょう尚江忌。