連載・特集

2023.11.17 みすず野

 朝食後、毎日飲む薬の袋がないのに気づいた。4種類あり、前回購入した分がなくなったので、新しい袋を持って食卓に向かったはずだった。もしかしてと考えたのは、先ほど集積場所に運んだ燃えるごみの中に、誤って入れてしまった可能性だった◆サンダルを突っかけて走り、出したばかりのごみ袋を開けてみる。底に見覚えのある袋があった。猫が使ったトイレの砂は、レジ袋などに取りごみに出す。薬はレジ袋に入っていた。薬があることを忘れて砂を入れてしまったのだ◆ごみ袋を開けている姿は、怪しかっただろうなと思いながら家に戻った。あの家のおやじはぼけてきたのかも、と近所の朝食の話題に上っているかもしれない。こうした間違いは、年を重ねてくるとこたえることがわかってきた◆何年か前から、谷川俊太郎さんの「じゃあね」という詩の最後の数行を時々思い出す。「年をとるのはこわいけど/ぼくにはぼくの日々がある/いつか夜明けの夢のはざまで/また会うこともあるかもしれない/じゃあね」(『空に小鳥がいなくなった日』サンリオ)。じゃあね、と去るまで、こんなことを重ねるのだろうなあ。