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父の戦死、悲しみ今も 塩尻で戦争遺児2人が語る

戦死した父について語る百瀬さん(右)と串田さん

 塩尻市の広丘公民館は15日、北部交流センター・えんてらすで広丘平和学習会を開いた。「戦争遺児との対談」では、いずれも父が戦死した串田文一さん(79)=広丘吉田=と百瀬正子さん(79)=広丘堅石=が登壇し、父や戦争に対する思いを語った。

 串田さんは、父・文吉さんが昭和19(1944)年8月に広島を出港してから、20年6月にフィリピン・ルソン島で戦死するまでの足取りを紹介した。文吉さんは亡くなる直前まで意識があり「戦死は覚悟の上。心配するな」「志願で来た」などと語ったという。同じ部隊で寝食を共にした男性から届いた手紙に詳細が書かれていたといい「改めて読み返し、戦争は悲惨なものだと父を思い浮かべながら思った」と語った。
 百瀬さんの父・篤男さんは19年7月に出征し、20年4月にルソン島で戦死した。ルソンからは家族を案じる手紙や、現地で百瀬さんと同じ年頃の子供を抱き、家のことを思い出したという内容の手紙が届いたという。22年に届いた死亡告知書は、名前の1字が間違っていたことから、祖父母は「生きているかもしれない」と、篤男さんの死をいつまでも信じられない様子だったと振り返った。
 会場では16人が聴講した。学習会ではこのほか、公民館の講座で、戦時中の広丘小学校の学校日誌を読んでいる「学校日誌を読む会」が、昨年1年間の成果を報告した。