生家の案内板を住民が修繕 塩尻市吉田出身の歌人・若山喜志子 没後55年

塩尻市広丘吉田出身の歌人・若山喜志子(1888~1968)の生家までの経路を案内する看板が老朽化していたため、吉田一区の住民有志がこのほど、市と連携して修繕した。今年は喜志子の生誕135年、没後55年に当たる。地元出身の歌人や短歌について学び、親しむ機会として、講座やウオーキングが計画されるなど、顕彰の動きも出ている。
生家の前にある喜志子の歌碑は誰でも見ることができる。喜志子や、喜志子の妹で歌人・潮みどり(1897~1927)を慕う人は、看板をたどっていけば生家と歌碑に着ける。ただ、平成12~13年に設置された看板は文字が薄れて見えなくなっていた。
吉田一区の小澤清秀さん(59)が「このままだと撤去されてしまう。一区に有名な歌人の生家があるのだから、訪れる人のために修理してほしい」と考え、市に相談した。看板は7カ所の現存が確認され、協議の結果、市が「喜志子生家 歌人の散歩道」と書かれたプレートを用意し、住民が設置作業を担うことになった。
7月30日に住民3人が地元の建部社に集まり、生家までの間にある七つの看板を修繕した。屋根の付いた台に縦34センチ、横17.5センチのプレートをビスで固定すると陽光に輝き、3人は「なかなかいいじゃん」と笑顔を見せた。
作業に参加した吉田一区公民館分館長の松澤健治さん(73)は「看板もきれいになったので、秋には子ども会育成会と公民館で周辺を歩くイベントをしたい」と意欲を見せた。一区の女性部は今月に喜志子と潮みどりの生涯と歌について学ぶ講座を予定。塩尻短歌館も秋から喜志子の企画展を行う。