2023.8.12 みすず野
小学校へ入学し、毎朝出かけるあいさつは「行ってまいります」だった。友達も同様で「行ってらっしゃい」「行っておいで」と言われて送り出された。いつ頃からか「行ってきます」になったようだ◆出かける子どもも、送り出す家族も特別の不安や危惧はない。「ただいま」と帰ることを互いに知っているからだ。俳優でエッセイストの三國一朗さんは、別の「行ってまいります」を『東京空襲』(大屋典一著、河出書房新社)から紹介する◆著者の上の部屋に母親と二人住んでいた学生が出征することになり「学生服の足にゲートルを巻いて、暗い廊下で私にだけ挨拶した。『いってまいります』気の滅入りそうな声だった」。母親は防空頭巾ををかぶった頭を少しうつむけ、何も言わずにみじろぎせず立ったままだった◆三國さんは『戦中用語集』(岩波新書)に引用してから言う。「『防空ずきん』でもわかるように、これは空襲下の未明のことである。どんなに烈しい空襲下でも、戦場へ行くものは、こうして行く。そして、その〈挨拶〉は、『行ってまいります』である。私もそうだった」と。そんなあいさつはもう聞きたくない。