2023.08.08 みすず野
〈稗田山が突如崩れて、浦川ぞいに大土石流を押し出したのは〉明治44(1911)年8月8日午前3時ころ。就寝中だった女性はごう音とともに土石の流れに乗せられ、何が何だか分からないまま対岸に打ち上げられて助かった◆幸田文の『崩れ』は文学の言葉で自然の猛威を伝える。全編が災害現場の〈見てある記〉だから笑顔で読めるくだりは少ないのだが、この逸話は〈なにかしきりに有難くて、うれしくて、ほのぼのと身にしむ思い〉―昭和52(1977)年に小谷村を訪れ、当時くだんの女性のおなかにいた66歳の男性から聞き取っている◆立山の鳶山や静岡の大谷嶺...崩壊の地を巡り、鹿児島の桜島や北海道の有珠山へも飛んだ。取材・執筆時の幸田は72歳。何が彼女をこうまで突き動かしたか。私たちも思い当たる節がある。それは〈ものの種〉だという。生まれて以来、心の中に知る知らぬを問わず種がぎっしり詰まっていて、一つの芽が地表を割ったのだと◆〈まことに歳月茫々の思いにうたれる〉―浦川に臨んで碑が立つ。災害から110年の一昨年には案内板も設けられたと報道で知った。ともにまだ行って見ない。