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救急医療整備に教訓生かす 松本サリン事件から29年

報告書を開き当時を振り返る清水医師

  8人の尊い命が犠牲となり約600人が負傷した平成6(1994)年の松本サリン事件から27日で29年になる。事件は当時、同時多発的に要救護者が発生する事態への体制が整っていなかった医療現場にも大きな影響を与えた。当時を知る医師に話を聞き、事件が残した教訓を振り返る。

 事件は「日本の救急医療における転換点」だったと語るのは丸の内病院参与で救急医の清水幹夫医師(75)だ。松本市地域包括医療協議会で病・医院連絡検討会の座長を務めた清水医師は、事件から29年たった現在も想定外の事象に対応できる医療体制の重要性を説く。
 事件は夜11時過ぎに起き、原因不明の中毒症状を訴える人が続出した。現場は混乱し、最寄りにあった丸の内病院には患者が集中した。残存したサリンの成分によって事件翌朝以降に症状を訴える人も多くいた。報道対応も各医療機関が個別にしていたため、不確実な情報が広まる要因になったという。原因物質がサリンと特定されたのは事件発生から約1週間後のことだった。
 発生10日後の7月7日、市内の行政・医療関係者らでつくる松本市地域包括医療協議会は、周辺住民の健康状態の把握や情報収集にあたることを決めた。地域の総力を結集した同協議会はその後、20年にわたって被害者の健康調査を続けた。
 清水医師は「事件をきっかけに組織立った救急医療体制の整備が進んだ」と話す。一方、新型コロナウイルスへの対応を例に挙げ、平時からの備えにまだ不完全な部分が残ると指摘する。「医療の需給バランスが崩れたときにどうするか、確認する必要がある」と警鐘を鳴らしている。